『中国の野望を絶つ日米共同作戦』
2024.04
日本安全保障戦略研究所上席研究員 樋口譲次

考察V 中国の戦略を逆手にとった米国の形勢逆転戦略
-構成-
1 米国の地政学的特性と戦略の基本
(1) 米国の地政学的特性
(2) 米国の世界戦略の基本
2 米国の国家戦略
(1) 世界関与戦略
(ア) 同盟戦略
(イ) アメリカン・システムの普及•拡大戦略
(2) 前方展開戦略
3 中国を睨んだ米国のインド太平洋戦略一中国のA2/AD戦略を逆手に取った米国の形勢逆転戦略
(1) インド太平洋戦略策定の背景
(2) 米国のインド太平洋戦略と米軍の世界的な態勢見直し
ア インド太平洋戦略
イ 米軍の世界的な態勢見直し(GPR)
(ア) 米軍の世界的な展開状況
(イ) 米軍の世界的な態勢見直し(GPR)
付図・付表:
図3-1 ユーラシア大陸(「世界島」)を巡る海洋国家と両生類国家の紛争
図3-2 自由で開かれたインド太平洋を維持するための枠組み
表3-1 各国の軍事力
図3-3 国際日付変更線以西の主要米軍基地とその脅威となる中国の弾道ミサイル
図3-4 米軍の最大の懸念要因:長射程化する中国のミサイル(通常弾頭)
表3-2 中国と米国の軍事戦略の比較
図3-5 米国の世界戦略:世界各地から宇宙まで展開する米軍(地域別統合×7)
表3-3 インド太平洋における米軍の配備状況(2021年一2022年)
<参考> *各考察等に戻る:
考察T考察U考察V考察W考察X考察Y考察Z最後に一言
主要参考文献略語(Abbreviation)解説

1 米国の地政学的特性と戦略の基本
(1) 米国の地政学的特性
 地理は、国家にとって最も永続的で不変の要因であることから、その安全保障•国防戦略や外交•経済政策などに影響を与える最も基本的な要因と言える。特に、国家の生存と安全 にかかわる基本的な部分は、国家間相互の地理的な位置関係によって決定される。
 米国は、「北米島」に位置し、地理的にユーラシア大陸から離隔(孤立)した「海洋国家」である。
米国は、北米のカナダとメキシコの間に挟まれ、大西洋と太平洋といった広大な水域によって、旧世界の権力の中心であるヨーロッパ大陸とアジア大陸から遠く離隔(孤立)して位置している。
 北のカナダは、NATOそして米英協定(UKUSA)に基づく情報同盟「ファイブ・アイズ (FiveEyes)」Jのメンバーで、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)を共同運営する同盟国 である。
 南のメキシコは、本部を米国に置く北米機構のメンバーだ。北米機構は、北米地域の平和と安全の強化を目的とした組織で、侵略に対して共同行動をとることを約束している。メキシコも又、米国の同盟国である。
 そして、南のメキシコ湾とカリブ海は「アメリの海」と称されるように、米国の海洋支配が行き届いている。
 米国の西海岸のシアトルから日本の東京までは約7600 km (キロ)、東海岸のボストンか らとポルトガルのリスボンまでは約5100キロある。米国に対し、大陸間弾道ミサイル (ICBM)などで深刻な打撃を与えることはできるが、 この長大な海洋を超えて陸軍や海兵 隊といった陸上部隊を派遣し米国を占領支配できる国は、軍事技術が著しく発達した今日にあっても皆無であると断言できる。
 このように、米国は、四周を二つの大洋と二つの同盟国によって守られた、安全保障・国 防上、極めて有利な地政学的特性を享受している国である。
 その米国は、世界最大の軍事力を保持しているが、果たして何を脅威と考え、どう備えよ うとしているのであろうか。
 米国は、二つの大洋という大動脈を通じて、世界の政治•外交と経済・通商に自由にアクセスできる。米国にとって、エアパワーの発達によっても海の価値は依然大きく、米国の影 響力はシーレーンを通じて欧州とアジアに伝わり、 ユーラシアの国々のパワーも、実質的に 海を通じてしか米国に届かない。
 他方、2024年1月10日付の米議会調査局(CRS)の報告書「新たな大国間競争:国防 への影響一議会への問題提起」の中の「大戦略と地政学」には、要約すると、次のような認識あるいは見解が小されている。

 •世界の人々、資源、経済活動のほとんどが西半球ではなく、他の半球、特にユーラシアに集中している。
 •ユーラシアにおける地域覇権国(の出現)は、米国の死活的利益を脅かすのに十分な規模の権力を集中することを意味する。(括弧は筆者)
 •ユーラシアは、地域覇権国の出現を阻止するという点で、確実に自己規制を行っていない。言うなれば、ユーラシア諸国が、自らの行動によって、 地域   覇権国の出現を防ぐことができるとは期待できず、 これを確実に行うためには、ユーラシア大陸以外の一つもしくはそれ以上の国からの支援が必要である。
 •そのため、米国は「ユーラシアにおける地域覇権の出現を阻止」するという目標の 追求を選択すべきである。
 別のCRSの報告書「防衛入門:地理、戦略および米国の軍隊(戦力)設計」(2024年3 月19日更新)では、「ユーラシアにおける地域覇権の出現を防ぐこと」には、次のような含意があるとしている。
 •ユーラシアにおける権力の分裂を維持すること
 •ユーラシアの主要地域が単一の権力の支配下に置かれるのを防ぐこと
 •ユーラシアにおける1あるいはそれ以上の地域覇権国の出現の結果としての世界 的勢力圏•影響圏の出現を防ぐこと
 このような思想は、バイデン政権が2022年10月に公表した国家安全保障戦略 (NSS2022)でも、次のような表現に現れている。
  米国はグローバルな利益を持つ世界的な大国である。我々は、他の地域に積極的に関与することで、各地域でより強くなっている。ある地域が混乱に陥ったり、敵対 勢力に支配されたりすれば、他の地域における我々の利益に悪影響を及ぼすことになる。
 以上提示した公的資料に基づくと、米国は、政治・外交や経済・通商の相手の多くはユ ーラシア大陸に存在するが、同時に、自国の脅威の主対象も同地域に存在すると認識している。
そのため、ユーラシアにおける地域覇権国の出現を阻止して世界における米国の利 益を擁護し促進するという目標を追求することが米国の大戦略/国家戦略の最大の役割で あり使命である、と考えていることが理解されるであろう。

(2) 米国の世界戦略の基本
 このような地政学的特性と米国の認識を背景として、米国の安全保障・国防戦略の基本的考えを理解する格好の材料の一つは、ニコラス・スパイクマン著『平和の地政学ーアメリカ世界戦略の原点』(2008年)である。
 スパイクマンは、以下に述べるように、地政学ではユーラシア大陸の周辺部の重要性を説 く「リムランド論」を主張したことで有名であり、米国の冷戦期の「封じ込め政策」の創始者とも言われ、現在の米国の世界戦略の基礎を作った外交戦略家また地政学者と評価されている。
 同書は、世界大戦中の1943年に出版されているが、現在にあっても、その論旨は色褪せ ることなく、燦燦と輝きを保っている。
 スパイクマンは、次の図を示し、米国の採るべき世界戦略を説いている。
図3-1 ユーラシア大陸(「世界島」)を巡る海洋国家と両生類国家の紛争
ユーラシア大陸(「世界島」)を巡る海洋国家と両生類国家の紛争
 彼は、ユーラシア大陸の中心域をハートランド(heartland),その周辺部の海洋に面した地域、すなわち沿岸地帯をリムランド(rimland)、あるいはインナークレセント(inner crescent)と呼んでいる。
 日本は、ユーラシア大陸を囲んでいる海の「沖合い(off-shore)」にある島嶼国家あるいは海洋国家として位置付けられる。中国は、一般的には大陸国家であり、 その間に在る韓国・ 北朝鮮は、地中海に長靴状に突き出たイタリアと同じ「半島国家」として、それぞれ分類される。
 スパイクマンは、前掲書のなかで「リムランドを支配するものがユーラシアを制し、ユーラシアを制するものが世界の運命を制する」と述べ、リムランドが今後も大規模紛争の発生し易い場所であり、 本地域こそが世界情勢や国家の安全保障あるいは防衛を分析する上の 焦点であると説いている。
 彼が示した前掲図によると、リムランド(桃色帯)には極東ロシア、中国、そして東南アジアを経てインド、中東、ヨーロッパ沿岸地帯などが含まる。
 すなわち、軍事大国の中国とロシアは、基本的には大陸国家であるが、同時に海洋へも進出する両生類国家であると分類している。
 そこに位置する国々は、陸と海の両方を睨みつつ両生類的に行動し、ハートランドにあるランドパワー(大陸勢力)や日本やイギリスのような沖合いの島国と戦わざるを得ない宿命を帯びている、というのがスパイクマンの主張である。

【コラム】両生類的とは
 海兵隊がそうであるように、水陸両用(amphibious)で、陸上(大陸)と水上(海洋)の両方に生息し、行動するという意味である。すなわち、リムランドに位置する国は、水陸の「両生類国家」ということである。 ⟨出典⟩筆者作成

 その上で、「ヨーロッパと極東で圧倒的パワーの台頭を許すのはアメリカにとって得策で はない」「三回目の世界戦争をしなければならないような状況を回避するため、アメリカは 平時のうちからこれらの地域で影響力を発揮する方法を考えておかなければならない」と 述べ、 「(アメリカの)安全と独立を守るために必要なのは、ユーラシア大陸にある国家がヨ 一ロッパとアジアで圧倒的かつ支配的な立場を獲得するのを不可能にする対外政策の継続 だ」と断じ、その必要性を説いている。
 そして、「アメリカが旧世界(ユーラシア)へのアクセスを維持していくためには、今後も大西洋と太平洋を通じたシーパワーによる交易に依存していかなければならない」として、 基地としてのイギリスや日本の価値・重要性を指摘し、「これらはアメリカが世界の安全保障を確立するためには欠かすことが出来ないものなのだ」と述べている。
 つまり、スパイクマンの前掲書は、米国にとって脅威の源と考えるリムランドからの海洋進出を阻止するため、沖合いにあるイギリスや日本などの島!^国家に軍隊を前方展開するとともに、 海軍によって米大陸との間にある大西洋と太平洋のシーレーンを安定的に維持することを米国の世界戦略の基本形として提示しているのである。
 この際、「エアパワーを持たないシーパワーは無意味である」と述べており、当時から、海洋正面における、いわゆるエアシー ・バトル(ASB、空海戦)の重要性を説いている点にも注目すべきである。
 第二次世界大戦(WWU)では、連合国が枢軸国を破り、勝利した。しかし、間もなくし た1946年頃から、東西冷戦がはじまった。1946年3月のチャーチル英国首相の「鉄のカーテン」演説が冷戦開始を告げる重要演説となり、1947年3月にトルーマン米大統領がる 「トルーマン・ドクトリン(封じ込め政策)」を発表して、事実上の冷戦がはじまった。
 欧州では、英・米国など!2か国が参加して1949年に北大西洋条約機構(NATO)が設 立された。元枢軸国のイタリアはNATOの原加盟国となり、西ドイツは1956年に加盟した。
 東西ドイツが、軍事対立の最前線となり、NATOは膨大な機甲部隊を基幹としたソ連軍 の電撃機動作戦に備えるため、エアランド・バトル(ALB、空地戦)を採用した。主戦場が、リムランドと言うよりもより内陸部へ移動し、地上戦が主体となったからである。

【コラム】エアランド・バトル(ALB、空地戦)
 エアランド・バトル(ALB : Air-Land Battle)は、日本語では空地戦と訳され、1980年代の前半から90年代の後半までの東西冷戦期、ヨーロッパ正面で圧倒的優位にあったソ連地上軍に対抗するため、米陸軍で考案された戦闘教義。 陸・空軍戦力の統合作戦によって機動 戦と縦深作戦を展開し、ソ連地上軍の電撃機動作戦を撃破するとしたものである。
<出典>各種資料を基に筆者作成

 また、1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立、続く1958年の「共通市場」を擁する欧州経済共同体(EEC)の創設以降、それを基礎に1993年、「マーストリヒト条約」に従って欧州連合(EU)が創立された。
 東西冷戦終結後、NATOとEUの東方拡大が進み、欧州のリムランドは、自由、民主主 義、人権、法の支配などの普遍的価値を共有する西側諸国によって比較的平和と安定が保たれるようになっている。
 一方、アジアでは、米国は日本、韓国、フィリピン、タイ、オーストラリア、(ニュージ ーランド)と同盟を結んだ。 また、台湾関係法で、防衛的武器を供与するなど台湾の人々の安全や経済体制を危険に曝すいかなる武力行使または他の形による強制にも抵抗できる能カの維持を支援している。
 しかし、アジアのリムランドに位置する大国・中国は、引き続き共産党一党独裁体制を堅 持し、急激な経済発展を梃子に、A2/AD能力を中心とする軍事力を広範かつ急速に強化し、攻撃的な海洋浸出によって、力による一方的な現状変更とその既成事実化を進めている。
 WWUの終戦から東西冷戦終結までは、東西対立の主戦場であった欧州に世界の戦略重心があった。しかし、東西冷戦終焉後、インド太平洋は、世界人口の50%以上が集中し、 世界経済の3分の1以上を占める経済の発展センターとして躍進し、世界の全海洋面積の 約66%をカバーする国際海上交通の要衝であり、かつ、世界最大級の複数の軍隊と5つの 核保有を主張する国が存在し、 そして中国の覇権的拡大や朝鮮半島問題など緊張度の最も 高い地域となっており、明らかに世界の戦略重心が当該地域に移っている。
 その焦点は、あくまで「中国の台頭」である。そのため、米国は、中国との競争•対立、 さらには新冷戦ともいわれる戦いに備えざるを得ず、戦略的に見れば「海洋国家」対「大陸国家/両生類国家」、 政治的には、「民主主義」対「権威主義」、経済的には「自由主義(市場経済)」対「社会主義(国家統制経済)」の覇権争いが、インド太平洋において再現されて いるのである。
 そして、米国は、中国の海洋侵出に備えるために採用したのが、スパイクマンが提唱し、 戦後からその態勢を取ってきた「エアシー ・バトル(ASB、海空戦)」である。
 つまり、ASBは、NATOが対ソ戦法として採用したALBに対比される、インド太平洋における伝統的な作戦構想であり、決して新しいものではない。

2 米国の国家戦略
 米国は、大戦略/国家戦略として公に明言することはあまりないが、それは、序章や前項で述べたように、ユーラシアを睨みながら、他の覇権国(例えば中国やロシア)の出現とそれによる国際秩序(グローバル・コモンズ:国際公共財)の破壊・支配を阻止し、 世界における米国の利益を擁護・促進するとともに、米国の覇権を維持して世界をリードすることである。
 この辺りの思想は、歴代政権の国家安全保障戦略(NSS)などの処々に表れている。例えば、前項でも述べたが、バイデン政権下のNSS2022では、次のような記述がみられる。

<序言> 
 国家安全保障戦略は、わが政権がこの決定的な10年間をどのようにとらえ、米国の死活的利益を高め、米国が地政学上の競争相手に勝ち抜き(outmaneuver)、(世界の)共通の課題に取り組み、世界をより明るく希望に満ちた明日へとしっかりと導いていくかを概説するものである。 世界中で、米国のリーダーシップに対するニーズはかってないほど高まっている。
<我々の永続的な役割>
 国際環境はより厳しくなっているが、米国が世界をリードする大国であることに変わりはない。••・国際秩序を形成するために(それに反対する)独裁的な大国と競争すべきだという考え方は、国内では超党派の幅広い支持を得ており、海外でもその傾向が強まっている。
<戦略的アプローチ(概要)>
 我々の目標は明確である。我々は、自由で、開放的で、繁栄し、かつ安全な国際秩序を望んでいる。我々は、人々が基本的かつ普遍的な権利と自由を享受できる自由な秩序を求める。 この目標を達成するためには、「3つの取り組み」が必要である。
 我々は次のことを行う。
 1) 米国の力と影響力の根源的な資源と手段に投資する。
 2) 可能な限り強力なコアリション(国家連合)を構築し、世界の戦略環境を形成し、共有する課題を解決するための集団的影響力を強化する
 3) 軍を近代化、強化し、主要国との戦略的競争時代に備えた装備を整えるとともに、母国に対するテロの脅威を打破する能力を維持する。
 我々はこれらの能力を用いて、戦略的競合相手と競争し、グローバルな課題に対して集団行動を起こし、テクノロジー、サイバーセキュリティ、貿易・経済に関するルールを形成していく

 以上はNSSの抜粋であるが、その傍線部分に着目すると、米国の一貫した考えを読み取 ることができるであろう。
 では、スパイクマンをはじめとする地政学者や戦略家が提唱した国家戦略の基本形に沿 って、現在の米国の世界戦略はどのように具象化されているのであろうか。
 それは、世界関与戦略と前方展開戦略という二つの戦略である。

(1) 世界関与戦略
 米国は、国家安全保障戦略で明らかにしている通り、現状変更勢力として中国とロシアを、また、ならず者国家としてイランと北朝鮮を、それぞれ脅威対象国として挙げている。
 しかし、相対的な力と地位の低下を認識し、中国を最重視する選択的な関与を方針として、その抑止・対処のため、同盟戦略とアメリカン・システムの普及拡大戦略を基本として対応しようとしている。

(ア) 同盟戦略
 現在、米国は、世界中の約60か国と同盟を結んでいる。
 欧州では、NATO加盟国は2023年4月のフィンランドの加盟により31か国となり、スウェーデンについては、最後の未批准国であったハンガリーの議会が承認議定書の批准案 を可決し、2024年3月7日に同国の正式加盟が決まり、32か国となった。
 インド太平洋では、中国を海洋から取り囲むように、日米安全保障条約、米韓相互防衛条約、米比相互防衛条約、太平洋安全保障(ANZUS)条約、米泰相互防衛条約(マニラ条約) によって5か国と同盟関係にある。台湾との間には、台湾関係法があり、準同盟と言っても過言ではない。
また、本地域は、日米豪印で構成される安全保障枠組みのクアッド(Quad)、米豪英による軍事同盟のオーカス(AUKUS)、そして、米豪英加ニュージーランド5か国による情報 同盟ファイブ・アイズ(Five Eyes)によってカバーされてもいる。
 さらに、米国の同盟国である英豪とニュージーランド、マレーシア、シンガポールによって構成される5か国防衛取極(FPDA)にも一定の役割が期待でき、NATO東京事務所の開 設も検討されている模様であり、 加えて、日米韓の安全保障•防衛協力の強化に向けた動きが加速している。
図3-1 「自由で開かれたインド太平洋」を維持するための枠組み
「自由で開かれたインド太平洋」を維持するための枠組み

 米国は、1950年にアチソン国務長官が表明した「対共産主義防衛線(いわゆるアチソンライン)」に韓国(及び台湾)が入っていなかったことが朝鮮戦争(1950〜53年)勃発の大きな要因になったとの批判を受け、その後、改めて、冷戦時の米国の太平洋アジア戦略を発表した。
  その要旨は、次の通りである。
 アリューシャン列島に連なる「鎖」一日本、韓国、琉球、台湾•海湖諸島、フィリピ ン、東南アジアの一部の地域、及びオーストラリア、ニュージーランドーは、中国大陸を囲むようにして繋がっており、 この「鎖」こそ、アメリカの考える太平洋地域の安全保障上不可欠なものである
<出典>U.S. Department of State, Foreign Relations of the United States,1952- 54、 P845

 この考えの下、米国は1950年代に、米国と日韓台による北東アジア条約機構(NEATO)、 同じく東南アジア諸国との東南アジア条約機構(SEATO)、そして豪ニュージーランド2か国との太平洋安全保障(ANZUS)条約による機構を創設し、それらを連接した「鎖」で、 米国の太平洋地域における安全保障を確保しようと構想していた。
 SEATOはASEANに変容し、ANZUS条約からニュージーランが脱退したが、本構想は、 米国が今日、インド太平洋における同盟戦略を推進する上で、その下敷きの役割を果たしているのは想像に難くない。
 万一、米国が、中国による尖閣諸島を焦点とする日本の南西地域及び台湾の占領支配を許し、この地域に中国軍の軍事基盤ができれば、「アリューシャン列島に連なる『鎖』」を切断 され、インド太平洋地域における安全保障の確保は、重大な危機に瀕するのは自明である。
 その結果、米国の影響圏は太平洋の中間線まで後退を余儀なくされ、東アジアにおける権 益を喪失するのみならず、インド洋へ至るシーレーンの確保もままならない状況に陥ることになろう。
 中国の習近平国家主席が、2013年6月の米中首脳会談で、オバマ米大統領に対し「太平洋には中米両国を受け入れるに十分な広さがある」と述べ、「中米太平洋分割管理構想」を提案したことが現実の恐怖となるのである。
 米国は、同盟国のうち、戦略的な重要国に前方展開部隊を配置し、核による拡大抑止を 提供するとともに、海・空軍が中心となって「通常兵器による迅速なグローバル打撃 (CPGS)」能力・態勢を保持して自国のみならず、同盟国の安全と繁栄を確保することを表明している。
 同盟(軍事同盟)は、現実の敵ないしは潜在的な敵(脅威対象国)に関する共通認識と価値や利益の共有性ないしは補完性を基盤として、2ないし数か国が条約によって、 軍事活動 を中核とした一定の政治的共同行為を約束した国家の結合である。ある問題が発生すれば、カの結集(軍事システムの統合)を通して政治的影響力の強化や戦争•紛争の抑止ないしは 防衛効果(対処力)の増大を企図する最も伝統的な外交手段である。
 では、同盟によって軍事的抑止・対処効果は、どの程度高まるのであろうか。
 ここに、オーストラリアのローウィー研究所(Lowy Institute)が公表した「2023年アジアの軍事力ランキング(Asia Power Index 2023)」がある。
 この軍事力は、軍事(国防)費、軍隊(規模勢力)、兵器及びプラットフォーム、特徴的な能力、アジアにおける軍事態勢、以上5項目から算定したもので、次表のような指数にな っている。
表3-1 各国の軍事力
国名日本米国豪州インド台湾 中国ロシア北朝鮮
軍事力指数37227.480790.730926.036344.115221.772568.131652.510625.7
8か国順位51648237

 この指数に基づいて日本と中国を比較すると1:2.5、米国対中国は1.1:1、台湾対中国 は1:3.1である。そこで、日米台と中国を比較すると1.8:1であり、日米豪印対中国は 2.8 :1、日米豪印台対中露北鮮は1.7 :1となる。
 例えば、「台湾有事は日本有事」のケースにおいて、日米台が協力すれば中国に対し1.8 倍、日米台に豪印が加われば2.8倍となる。仮に、中国に露北鮮が加担したとしても、日米 豪印台が1.7倍で、いずれも場合も優勢である。 これが、単純計算であるが、同盟戦略を計数的に見た場合の効果である。
 しかし、同盟が、この係数通りに機能するためには、関係各国の戦略・作戦構想を融合させ、軍事システムを統合し、演習や訓練を重ねて、実効性のある共同作戦遂行能力にまで高 めなければ真の抑止・対処力とはならない。それが同盟戦略の大きな課題である。
 また、中国と北朝鮮がウクライナに侵攻しているロシアを支援していることからも分かるように、アジアと欧州の安全保障は連動しており、この際、NATO/EUとの協力連携を強化することも重要である。

(イ) アメリカン・システムの普及•拡大戦略
   米国が目指しているのは、中国の「中華的華夷秩序」が象徴するように、特権階級の指導層による専制的、絶対主義的な支配体制の下、対外的には帝国主義的な拡張政策を採り、軍事力や経済力などのパワーで他国を圧倒し、 現地では内政に介入し、管理・支配しようとするピラミッド型の国際秩序の形成ではない。(イ)アメリカン・システムの普及•拡大戦略
 米国は、国際秩序の形成において、自らの指導力が必要であることは認めている。しかし、 米国のリーダーシップは、他の国をパワーで圧倒するというより、政治・外交、経済、技術、 社会・文化などに係わるアメリカン・システムを見習うべき手本とし、 進んで取り入れよう とする模範的•自発的な普及拡大によって世界システムとして標準化し、他国とともに、同じ目標に到達しようとするものである。 いわば、中国を威圧的•強制的ガバナンスの国とすれば、米国は納得的•協調的ガバナンスを追求する国と言うことであり、ジョセフ•S•ナイ氏が強調する『ソフト・パワー(SP)』 の価値に重きを置いたものといえよう。
 ナイ氏は、SPを「強制よりは魅力によって国際関係上望ましい結果を導くカ」と定義し、 国家のSPは、その国の文化、政治的価値、外交政策の三つの基本的な資源に大きく依存す ると述べている。
 そして、SPでは、相手がどう考えるかが特に重要であり、魅力と説得力は社会的に構成されるもので、いわば、「パートナーを必要とするダンスである」とし、状況によっては、 文化が重要な力の源泉になり得ると主張している。
 文化的には、アメリカ的ライフスタイル、ハリウッドの映画やポピュラーミュージックにテレビ番組、ジーンズやハンバーガー・カフェなどのファッションや食習慣、高等教育のメ ッカへの留学、インターネットの開発に代表されるIT革命とそれに伴う英語の普及などによって世界の若者がアメリカに魅了され、 アメリカン・ドリームを求めて世界中から移民が 殺到している。
 政治的価値では、米国は自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値の先駆的創 造者であり、世界的な伝道者でもある。また、この民主政治と対をなしているのが起業家精 神を基本とし、 自由貿易や自由競争を重視するアメリカの経済モデルであり、民主政治と経 済発展を組合わせたシステムが国際社会で広く受容されている。
 外交政策を見ると、戦後作られた国連、IMF、あるいは世界銀行などの国際機構・システ ムの構築や国連海洋法条約(UNCLOS)、宇宙条約などの国際法の発展は、米国のイニシア ティブに負うところが極めて大きい。
 これらは、国際社会の中で一方的なアメリカ文化や価値の押し付け、あるいは経済侵略・ 文化侵略などとの非難を浴びていることも否定できない。また、いかに文化的に深い親近感 があったとしても、軍隊を止めることは出来ないと主張する懐疑的な人がいるのも事実である。
 しかし、米国は、SPはカの一形態であるから、万能ではないが、この力の有効性を無視 ることは出来ないとし、他国の見本となる「丘の上の輝ける街」(レーガン元大統領)の 理想を掲げ続けるであろう。 そして、世界一の経済力と軍事力によるハード・パワーとSP を組合わせた戦略によって、世界唯一の超大国として、20世紀に引き続き、21世紀も「ア メリカの世紀」を維持しようと考えているのである。
 逆に、国際社会は、中国に対して、米国が持つこのSPがあるのかどうかを問うことにな るのではないだろうか。

(2) 前方展開戦略
 前方展開戦略は、前述のスパイクマンに代表される地政学的考察が背景となっている。
 すなわち、米国は、「北米島」として大西洋と太平洋の両大洋によって地理的に離隔(孤 立)された海洋国家であり、多くの政治外交・経済通商相手は「世界島」といわれるユーラ シア大陸に存在する反面、安全保障上の主要な脅威の源もそこにあるという認識だ。
 そこで、米国は、両大洋を経由しなければユーラシア大陸にアクセスできないことから、海上交通路(シーレーン)の安全確保が大きな課題であり、一方、両大洋によって安全が守 られていることから、 ユーラシア大陸周辺の自国領域から努めて遠方で脅威を排除しようとする考えに到達する。
 つまり、前方展開戦略は、米本土に軍の主戦力を拘置しつつ、ユーラシア大陸のロシアと中国を取り囲む同盟国に必要な部隊を前方展開し、その間の海上交通路を安定的に維持して、有事における軍事輸送、そして通商や資源への自由なアクセスを確保することを基本とする戦略である。
 近年では、中東での地域覇権を狙うイランに対処するため、ペルシャ湾および同周辺にも前方基地や拠点を展開しており、脅威対象国であるロシアの欧州、中国(北朝鮮を含む)の インド太平洋の3地域が、米国の安全保障・国防戦略の重大関心地域となっている。
 万一、ユーラシア大陸から脅威が顕在化した場合、まず前方展開部隊をもって対処しつつ、米本土から主戦力を展開、あるいは他正面から戦力を転用(スイング)して外線的、攻勢的 に作戦を遂行し、これを米本土外のできる限り遠方で撃破して自国の安全を保障しょうと するものである。
 そのため、米国は、自国半球(西半球)を出発し、広大な海洋と空域を横断して、別の半 球(ユーラシア大陸)に到着した時点で持続的で大規模な軍事作戦を遂行できるように軍隊 (戦力)を設計しており、現状では、世界で唯一、軍隊のグローバルな展開を実施できる国である。
 以上述べたように、前方展開戦略は、海外米軍基地に大きく依存している。
 米国防省の2018年会計度「基地構造報告書(Base Structure Report) Jによると、米国の主要な海外基地は45か国、合計514か所に上っている。特に、ドイツが194か所と最も多く、日本が121か所、韓国が83か所と続いている。
 欧州軍正面の米軍基地は、ドイツ、英国、イタリアを中心に、アイスランド、オランダ、 ベルギー、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、トルコ、ルーマニアなどに置かれている。
 インド太平洋軍正面では、日本、韓国を中心に、オーストラリア、インド洋上の英国領デ イエゴ・ガルシアなどにある。
 中東の中央軍正面では、エジプト、ジプチ、オマーン、アラブ首長国連邦、カタール、バ ーレーン、クウェートなどにある。
 一方、近年、米国の前方展開戦略を脅かす脅威対象国の能力向上が顕著になっている。
 インド太平洋軍正面における国際日付変更線(IDL)以西の主要米軍基地とその脅威とな る中国の弾道ミサイルは、次図の通りである。

図3-3 国際日付変更線以西の主要米軍基地とその脅威となる中国の弾道ミサイル
国際日付変更線以西の主要米軍基地とその脅威となる中国の弾道ミサイル

 中国やロシア、イランなどは、米国の前方展開戦略に対抗するための軍事能力、中でも弾道ミサイル等によるA2/AD能力の強化に走っており、それに伴い、海外米軍基地に対する攻撃による脆弱性が増大している。

 加えて、米軍基地を受け入れているホスト国内の反米感 情•基地撤去要求などの国内事情や米国の厳しい財政事情などにより、在外基地の整理・縮 小を迫られている。
 現在、米国は、日本における沖縄米軍基地のグアムへの移転に見られるように、「前方展 開型態勢」を縮小して後退配備をとり、紛争地域への「戦力投射型態勢」へと移行する施策を順次進めている。

 しかし、これが逆に、同盟国におけるプレゼンスの低下を招き、緊急時のコミットメント に対する疑念を高め、また米軍の来援・介入が遅くなるとの懸念などが生じているのも事実 であり、同盟関係の信頼感にとって複雑なディレンマを抱える原因ともなっている。


3 中国を睨んだ米国のインド太平洋戦略一中国のA2/AD戦略を逆手に取った米国の形勢逆転戦略
 以上の世界戦略を背景に、米国が最も重視しているのは、最大のライバルである中国に対するインド太平洋戦略である。

(1) インド太平洋戦略策定の背景
 前述のように、米国の対中国戦略•作戦を練る上で、最も難題を突き付けたのが中国の A2/AD能力、中でも地上•海上•空中配備の各種弾道•巡航ミサイルである。
 さらに細かくみると、次図の通り、その有効射程は、台湾、日本はもとより、グアム、オ ーストラリア、そしてハワイまでもカバーするものである。

図3-4 米軍の最大の懸念要因:長射程化する中国のミサイル(通常弾頭)
米軍の最大の懸念要因:長射程化する中国のミサイル(通常弾頭)


 この影響を的確に指摘したのが、当時、CSBA所長であった•アンドリュー •クレピネビ イッチ(Andrew Krepinevich)である。クレピネビイッチは、2015年に発表した論文 「成熟した精密攻撃態勢下での海洋覇権(Maritime Competition In A Mature Precision - Strike Regime)Jの中で、要約すると次のように述べている。

 •ミサイルが有効射程を伸ばし精密度を上げ、センサー類の感度が向上し艦艇に隠れる(行動できる)場所がなくなってきた。空母から反撃できないほど
  の長距離から空母を狙う巡航ミサイルを潜在敵国が発射できる。現時点でも空母は大きな目標にすぎず、水上艦艇には大きな役割は期待できない。
  もはや海は広い舞台ではない。海戦も大きく変わる。

 •潜水艦や陸上配備爆撃(陸上基地からの航空攻撃など)が中心的な精鋭部隊になるだろう。 その補強に長距離陸上発射ミサイルが使われる。陸上基地は
  弾薬量や防御力で海上艦艇より優位であり、陸上装備が艦隊に大きな損害を与えるので、もはや海戦とはいいがたい。

 •第二次大戦ではミッドウェイで日米が空母部隊の索敵に広い太平洋で苦労した。地中海で は枢軸側と連合国側の艦艇は簡単に発見され、陸上基地から
  の爆撃で大損害を受けた。現在の技術で太平洋は地中海の大きさに縮小されるといってよい。

 • A2/AD地帯が大洋に広がり、アクセス不可能な領土や海域が増え、双方にとってこの地 帯では深刻な損害を覚悟しなければならなくなる。海洋の大部
  分が事実上通行不可能な危険地帯になる。一番簡単なのは現地派遣をあきらめることだ。

 •T.X,ハメス(Hammes)海兵隊退役大佐(米国防大学・上席研究員)は「オフショアコン トロール」構想で、中国の長大な貿易海上ルートに着目し、中国か
  ら遠く離れた地点を封鎖し、輸出をまひさせ中東産原油が中国に届かなくすればよいと、エアシー・バトルの代替策として提唱している。時間があ
  ればこの構想はとても魅力的だ。しかし米国の同盟国(例:日本)が敵の有効な射程内で身動きが取れなくなった場合は、遠隔地の封鎖をしたところで
  肝心の同盟国が長く持たない。

 •最終的に米軍部隊は接近せざるを得ない。ただし敵が長距離兵器を使い切った場合(あるいは、我が敵の長距離兵器を制圧・弱体化した場合)に限るが。
(括弧は筆者)

 以上のクレピネビイッチの洞察は、誠に正鵠を得たものであり、そのため、作戦の初期段階では、中国軍の多種多様なミサイルの飽和攻撃による致命的な損害を回避するため、米空母打撃群は第2列島線以遠へ退避することを余儀なくされ、 水上艦艇(潜水艦を除く)は東 シナ海には入れない状況を強いられることになる。
 また、例えば、在日米空軍主力は日本に残るが、中日本や北日本からグアムなどにかけて一旦広域に分散展開し、態勢を整える必要に迫られる、と考えられたのである。
 しかし、それでは中国軍に一方的に主導権を奪われ、米軍は劣勢に立たされるとともに、 前述の通り、同盟国におけるプレゼンスの低下や米軍の来援・介入の可能性あるいはその遅延に対する懸念によって同盟関係の信頼感を損ねるなどの問題が浮上した。
 そこで、米国は、様々な議論を経た後、あくまで海上優勢・航空優勢を獲得して戦略的優 位性を維持するとした積極的な戦略を採用することになり、第3章で述べる作戦構想に反 映されたのである。

(2) 米国のインド太平洋戦略と米軍の世界的な態勢見直し
ア インド太平洋戦略
 トランプ政権下(2017年1月〜2021年1月)の2018年2月、国家安全保障会議(NSC) において米国のインド太平洋戦略としての「米国のインド太平洋における戦略的フレーム ワーク」が作られた。
 当該文書は、機密扱いであったが、2021年1月にそれが解除され公表された。その狙い は、次のバイデン政権に、この戦略を引き継いでもらうためであったと言われている。
 同戦略は、米国の安全保障と繁栄は「自由で開かれたインド太平洋」へのアクセスに依存 しているとの認識と中国が最大の脅威であることを前提とし、インド太平洋地域で米国の 戦略的優位性を維持し、  既存の規範を破る中国の影響範囲が確立されるのを防止し、自由な 経済秩序を促進することを目標としている。
そして、同目標の達成に向け、米国の利益と安全保障上の関与を守るために、インド太平 洋地域で信頼できる米軍のプレゼンスと態勢を強化するとし、その上で、米国を主要なハブ とする日本、 オーストラリア、インド4か国の戦略的枠組み(クアッド)を形成し、特に、 日本の地域中心的なリーダーシップを強化する旨を述べている。
 「中国との武力紛争への対応」については、次の3項目を明示している。
 第一に、第1列島線内での中国の持続的な海と空の支配(制海・制空権)を拒否することを挙げている。
 第二は、第1列島線上に米国と同盟国によるA2/AD能力を構築し、台湾を含む第一列島 線上の諸国を防衛することである。
 そして、第三に、第1列島線外のすべての領域(ドメイン)を支配するとしている。
 この部分が、いわゆる軍事戦略に相当するものと考えられるが、中国のA2/AD戦略と対 称的•対抗的に構成されている点に着目する必要があろう。
 そこで、両国の軍事戦略を比較してみると、次の図表のように整理することができる。

表3-2 中国と米国の軍事戦略の比較
中国米国
戦略A2/AD (接近阻止•領域拒否)戦略インド太平洋戦略:「インド太平洋戦略 におけるフレームワーク」
戦略目標<全般>太平洋とインド洋におけ る米軍の支配に終止符を打ち、同 地域に中国の覇権を確立する。<全般>インド太平洋地域で米国の戦 略的優位性を維持し、既存の規範を破る 中国の影響範囲が確立されるのを防止し、自由な経済秩序を促進する。
®AD :領域拒否;
東シナ海•南シナ海を内海化•軍 事的聖域化し中国周辺海域の防衛 ゾーンを確保
@第1列島線内での中国の持続的な海空 支配(制海・制空権)を拒否
A(台湾などの)第1列島線国を 支配A台湾を含む第1列島線国を防衛
BA2 :接近阻止;
米軍の行動を第2列島線以東に排 除し同海域を支配
B第1列島線外のすべての領域(ドメイ ン)を支配

 『孫子』は、謀攻(Offensive Strategy)篇の第10項で「故に上兵は謀を伐つ(故上兵伐 謀)」と述べている。浅野裕一著『孫子』(講談社学術文庫)は、同項を「そこで軍事力の最高の運用法は、敵の謀略を未然に打ち破ることである」と解釈している。
 他方、サミュエルB・グリフィス(Samuel B.Grif^th)著「SUN TZU THE ART OF WAR (孫子の兵法)」(OXFORD UNIVERSITY PRESS)によると、そのフレーズは“ What is of supreme importance in war is to attack the enemys strategy "と翻訳されている。
 再訳すると、「戦争において最も重要なことは、敵の戦略を攻撃することである」と言う解釈である。
 つまり、米国は、『孫子』の蔵言に沿って、中国の戦略を逆手にとり、その戦略要点を伐つ形勢逆転戦略(Turn the Tables Strategy)を追求していると理解するのが妥当ではない だろうか。
 筆者は、1980年代の中頃、米陸軍の指揮幕僚大学(CGSC)で学んだ。そのころは、まだ東西冷戦の真つ只中にあったが、同大学の売店には『孫子』をはじめとする中国の戦略書や兵法書が平積みで置かれ、多くの大学職員や米軍将校学生が手に取っていた。
 そのように、米軍における中国研究は相当に進んでおり、その成行きがこのような戦略の展開に繋がったのではないかとも推測される。

 次のバイデン政権(2021年1月〜)は2022年2月、改めて「インド太平洋戦略(INDO-PACIFIC STRATEGY)」を発表した。
 その中で、中国からの増大する課題に直面しているインド太平洋地域を最重視する姿勢を改めて明示した。そして米国は、同盟国やパートナー国、地域機関と協力して「自由で開 かれたインド太平洋」の推進や地域の安全保障の強化などに取り組むことを再確認し、 次の 5つの目的を追求していくと強調した。
@ 自由で開かれたインド太平洋の推進
 特に、南シナ海や東シナ海などの海洋状況に対する法に基づくアプローチを支援すること
A 地域内外における連携の構築
 特に、同盟を結ぶ5か国(日本、オーストラリア、韓国、フィリピン、タイ)および地域を主導するパートナー国(インド、インドネシア、マレーシア、モンゴル、ニュージーラン ド、シンガポール、台湾、ベトナム、太平洋島噸国)との関係を深化させること
B 地域の繁栄の促進
 特に、「インド太平洋経済枠組み(IPEF)Jを21世紀にとって重要な多国間パートナーシップと位置付けて取組みを進めること
C インド太平洋における安全保障の強化
 特に、台湾海峡の平和と安定を維持し、朝鮮半島の完全な非核化を実現し、日本および韓との拡大抑止や連携を強化すること
D 国境を越えた脅威に対する地域の回復力の構築
 特に、インド太平洋地域が温室効果ガス排出量の実質ゼロ社会を創れるようにパートナ一国と協力すること

 バイデン政権の「インド太平洋戦略」では、トランプ政権で明らかにされていた、いわゆる軍事戦略について具体的に言及されていないことから、バイデン政権は、トランプ政権の狙い通り、同政権の軍事戦略を踏襲しているものと考えられる。

イ 米軍の世界的な態勢見直し(GPR)
(ア) 米軍の世界的な展開状況
 令和4(2022)年版『防衛白書』によると、当時の世界的な「米軍の配備状況」は、次図のようになっている。なお、同図は、米国防省公刊資料(2021年12月31日)などを基に作成されている。
図3-5 米国の世界戦略:世界各地から宇宙まで展開する米軍(地域別統合×7)
米国の世界戦略:世界各地から宇宙まで展開する米軍(地域別統合×7)

 ヨーロッパ(NATO)正面の総兵力は約6.6万人、アジア太平洋(インド太平洋軍)正 面は約13.2万人である。総兵力比は概ね1対2で、アジア太平洋(インド太平洋軍)正 面にヨーロッパ(NATO)正面の約2倍の兵力が配備されている。
 ヨーロッパ正面の兵力は、陸軍約2.7万人、海軍約0.8万人、空軍約3.0万人、海兵隊 約0.1万人で、陸軍と空軍の作戦を重視した「エアランド・バトル(ALB、空地戦)」の態勢になっている。
 ALBは、冷戦間、ソ連地上軍による大規模電撃機動作戦に備えたものであったが、 NATOの東方拡大に伴なう内陸部での作戦の蓋然性が高まり、それを受けて、ますますその有用性を増すことになろう。
 他方、アジア太平洋正面の兵力は、陸軍約3.5万人、海軍約3.8万人、空軍約2.9万人、海兵隊約2.9万人で、海軍と海兵隊を併せると約6.7万人となる。
 これをヨーロッパ(NATO)正面と比較すると、海軍(含む海兵隊)と空軍の作戦を重視した「エアシー ・バトル(ASB、海空戦)」の態勢を取っていることが明らかである。 陸軍が約3.5万人と多いのは、在韓米軍によるもので、同軍は陸軍約2万人、空軍約8千人 で、主として北朝鮮軍との地上戦を想定していることから、ASBを基本とするアジア太平洋の中で、ALBの特別な態勢になっている。  そのため、ソウル郊外山中の極秘の地下壕にある米韓連合軍の戦時指揮統制施設は、PTheater Air Ground Operations (TANGO) Jと呼ばれている。
 ASBは、米軍の太平洋における伝統的な軍事態勢であるが、中国の海洋進出を受け、インド太平洋軍におけるASB構想が一段と強化されているのは間違いない所である。
 これを背景に、米国防省は2021年11月、極秘事項を除いて、「米軍の世界的な態勢見直し(GPR)」を発表した。

(イ) 米軍の世界的な態勢見直し(GPR)
 GPRは、インド太平洋地域の安定と中国の軍事的進出に対処するため、インド太平洋地 域を最優先し、対中国に重心をシフトすることを掲げている。
 そのため、世界の他地域で兵力や軍備を縮小し、中東から軍事力(ミサイル防衛部隊や海 空軍戦力など)を引き揚げ、インド太平洋地域(と欧州)に再配置する。
 また、オーストラリアや米領グアム、米自治領北マリアナ連邦(グアム島を除くマリアナ 諸島:テニアン島、サイパン島など)での基地機能を強化するとともに、同盟国や友好国との協力を強化し、基地の提供やローテーション酉己備などの施策を拡大するとしている。
 他方、「(インド太平洋に向けて)針を少し動かし、今後数年で針をさらに動かす」との例 えのように、配置転換は漸進的に行い、今後数年で具現化するとの方針である。
 言い換えると、対中国を念頭に置いた大規模な配置転換を見送り、当面のインド太平洋へ のシフトは比較的小規模に止めるとの考えである。これには、欧州や中東の危い情勢が関係している。
 欧州では、2021年2月に始まったロシアによるウクライナ侵略、すなわち「ウクライナ 戦争」によって、ロシア脅威が一段と高まりを見せている。
 ロシアのウクライナ侵略は、ウクライナの主権及び領土一体性を侵害し、武力の行使を禁 ずる国際法と国連憲章の深刻な違反であるとともに、国際秩序の根幹を揺るがすものであり、  欧州方面における防衛上の最も重大かつ直接の脅威と受け止められている。また、ロシ アがウクライナ侵略を継続する中、核兵器によって威嚇し、あるいは核兵器の使用を仄めか す言動を繰り返し、危機を一段と増幅させている。
 また、中東では、イラン核開発の急速な進展と、親イランで、同国の地域支配戦略のため の代理過激派武装組織と見られているパレスチナ・ガザ地区を実効支配する武装組織ハマスやレバノンの武装組織ヒズボラ、そしてイエメンの武装組織フーシ派の活動が活発で、地域の不安定化が指摘されていた。  そのような中、2023年10月7日、ハマスの奇襲攻撃によって「イスラエル・ハマス戦 争」が始まった。ハマスを支援するヒズボラとイスラエル軍も交戦している。
 また、フーシ 派による紅海での船舶への攻撃が激化し、海上貿易にも混乱が生じている。米国は、中東紛 争の矢面に立たされ、その長期化と中東全域への拡大が懸念される状況が続いている。
 このように、米国としては、欧州、中東における軍の態勢を大きく変えられない深刻な事情があるからである。
 さらに、米国には、米中を「戦略的競争」関係と位置づけ、中国との対立の激化を回避する方向で「適切な競争管理」を行いたいとの思惑から、急激な兵力増強を避けている一面もある。
 ちなみに、2021年から2022年の約1年間に、インド太平洋における米軍の配備が如何に進んだかを見ると、次の通りである。
表3-3 インド太平洋における米軍の配備状況(2021年一2022年)
2021年2022 年増 減
陸軍約3.5万人約3.5万人なし
海軍約3.8万人約3.8万人なし
空軍約2.9万人約2.9万人なし
海兵隊約2.9万人約2.6万人約0.3万人減
総兵力約13.2万人約12.8万人約0.4万人減
⟨出典⟩2022年の資料は、令和5年版『防衛白書』「米軍の配備状況」から抜粋したもの であり、同資料は米国防省公刊資料(2022年9月30日)などによる。

 このデーターによる限り、インド太平洋における米軍の配備は、インド太平洋地域を最優先し、対中国に重心をシフトするとの方針に反して、ウクライナ戦争の影響もあり、増強と言うよりも、むしろ減少しているのが実情である。
 そのため、今後大きな進展は期待できないとの悲観的な見方があるのも否定できない。
 米国は、「中国の台頭」などによって相対的に地位とパワーが低下し、オバマ大統領が否定したにもかかわらず「世界の警察官」の役割を堅持し、それを果たすために世界関与戦略を引き続き推進している。
 そのため、米国の同盟国であり、又、中国の脅威に直接曝されている日本、台湾、フィリ ピンなどの当事国は、米国の来援まで、自国の安全を自ら確保できる防衛力を確実に保持すること、又、それによって米国の負担を極力軽減することが安全保障•防衛上の大きな課題であることは言うまでもない。